高井勝己氏「能登における守護吉見氏と戦場となった山城」
2017年 05月 28日
石川郷土史学会の月例研究発表会が5月27日(土)、石川県立図書館で開かれ、高井勝己さんが「能登における守護吉見氏と戦場となった山城」と題して、発表しました。
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高井勝己さんは、南北朝時代に能登で守護となった吉見氏について、概略次のように発表しました。
■建武元年(1334年)、能登最初の守護大名として登場するのは、吉見頼為(よりため)である。2代目は、その子、頼顕(よりかね)である。この父子の能登での根拠地は明らかでない。
■3代を継いだのは、頼為の兄・頼有の子、頼隆である。能登と併せ、越中の守護を兼任した。この時、本拠を金丸保(金丸・能登部)とし、政所を府中としている。このことから、能登での本拠地は金丸保で、能登部に居館を持っていたことは明らかである。
■能登で最後の守護となるのは、正平3年・貞和4年(1348年)に就いた吉見氏頼である。
■天授5年・康暦元年(1379年)、本庄宗成が能登守護職に就くと、守護一族であった吉見氏一党は、本拠地の三河へと帰った。
■吉見氏が能登で過ごした45年間は、気の抜けない年月であった。珠洲山方城の合戦が終わり、能登から南朝の姿が消えたことから吉見氏の役目は終わったのだろう。
■能登における吉見氏の戦いは、四つに分けられる。
(1)貞和の戦い(木尾嶽合戦)。
(2)観応の戦い(三引赤蔵寺合戦)。
(3)文和の戦い(能登島合戦)。
(4)応安の戦い(能登部城合戦)。
高井勝己さんは、自ら調査し、作成した図面をもとに、概略このように発表しました。
なお、次回は、6月24日(土)に研究発表会が行なわれます。