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村井加代子氏「医王山(育王仙)惣海寺についての序」


村井加代子氏「医王山(育王仙)惣海寺についての序」


石川郷土史学会の研究発表会が4月25日(土)、石川県立図書館で開かれ、村井加代子さんが「医王山(育王仙)惣海寺についての序」と題して、発表しました。

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村井加代子さんは、石川・富山の県境にある医王山(いおうぜん)にあったといわれる惣海寺(そうかいじ)について、次のように発表しました。
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発表する村井加代子さん


(1)昨年、南砺市才川七町の医王山宗善寺を訪れたが、その由来によると、「泰澄大師が医王山を開山した」「大師開基の四十八ヵ寺の一つである開往寺(かいおうじ)が同寺の本寺だ」と記されている。

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(2)泰澄大師が山や寺院の開山・開基に引用されたのは、医王山には古くから修験者(山伏)がいて、修行の山であり、真言・天台密教的な僧堂があったからと想定できる。また、白山禅定の修験者たちが峰伝いに医王山に来て、修行することもあったといわれており、白山開山の泰澄にあやかり、縁起を作成したと考えられる。

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(3)平成25年と26年、医王山寺院群の跡を確かめるため、高井勝巳氏とともに、石川県側から医王山に登ってみた。確かに、奥医王山の頂上付近に、堀を含めて、100平米以上の遺構があり、大きな建物があったと推定できた。

(4)医王山の大池付近にも大きな建物群の跡が見られた。これが惣海寺といわれる建物なのか、確証はない。福光の人たちは、富山県側の遺跡を惣海寺跡と考えている。

(5)平成26年、富山県側からも医王山の遺跡を巡ってみた。

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このほか、村井さんは、医王山寺院群はなぜ消滅したのか、について、一向一揆勢との戦いなど、興味深い点についても言及しました。今後の論考の深化が期待されます。

なお、次回は、5月23日(土)に開催されます。
by ishikawakyodo | 2015-04-25 22:04 | 研究発表会 | Comments(0)

石川県の郷土史を研究する石川郷土史学会のブログです。


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