村本外志雄氏「戦時下の航空機燃料 松脂・松根油…」
2015年 06月 27日
村本外志雄氏「戦時下の航空機燃料 松脂・松根油採取について」
石川郷土史学会の6月月例研究発表会が27日(土)、金沢の県立図書館で開かれ、村本外志雄さんが「戦時下の航空機燃料 松脂・松根油採取について」と題して発表しました。
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村本さんは、戦時下の航空機燃料 松脂・松根油採取について、金沢市近郊の事例を中心に次のように発表しました。
◆先日、新聞にも紹介されたが、兼六園の梅林の近くに大きな傷跡が残る老松がある。これは終戦直前の昭和20年6月に、政府の指示で軍用航空機の燃料にするため、松脂を採取した跡である。
◆当時の燃料事情についてふれると、石油の自給率はなんと10パーセントで、75パーセントをアメリカに依存していた。それで、昭和16年12月、太平洋戦争が始まると、一挙に石油が足りなくなる。
◆このため、昭和19年12月から、松根油の緊急増産運動が開始され、普正寺や安原の海岸、野田山、三小牛山などで松脂と松根油の採取が始まった。
◆昭和20年になると、兼六園の樹齢100年を超える松53本から松脂が採取されるようになった。これは終戦まで続いたが、戦争が8月に終わったため、兼六園の名木は命が助かったといえるかもしれない。
◆この松脂と松根油は、航空ガソリンの原料として利用が試みられたが、およそ200本の松根から採取する油で、飛行機1機が1時間飛行できる程度で、効率が悪く、実用化にはつながらなかった。
村本さんは、野田山墓地の中を歩いて調査した結果、松脂採取のため傷跡がある松が多く残っていることを報告し、このように発表しました。
なお、次回研究発表会は、7月25日(土)に開催されます。