笠原愼治氏「百年前の金沢市―最初の航空写真と新発見の三枚の地図から―」
2017年 06月 24日
石川郷土史学会の第468回月例研究発表会が6月24日(土)、石川県立図書館2階の県民交流室で開かれ、笠原愼治さんが「百年前の金沢市―最初の航空写真と新発見の三枚の地図から―」と題して、発表しました。
****************
笠原愼治さんはこの中で、100年前にあたる大正6年は、第1次世界大戦のさなかで、ロシア革命がおきた年であるとし、金沢市の状況を概略次のように発表しました。
発表する笠原愼治さん
▼4月に衆議院議員選挙が実施され、金沢市では、中橋徳五郎(政友)が当選、永井柳太郎(憲政)が次点に泣いた。「来たり、見たり、敗れたり」の名演説が有名。
▼出羽町練兵場から、帝国飛行協会の後藤正雄少尉が飛行機で飛び立ち、40分間飛行した。「飛行機より見たる金沢市街」という最初の航空写真(絵葉書)が現存している。
▼大正6年、金沢市が発行した「金沢市街地図」には、全町名が記載されている。
▼大正6年の「金沢市統計書」によると、人口が14万人。町数は515だった。
笠原さんは、さまざまなエピソードをまじえながら、金沢市には、四高があり、三つの練兵場と第九師団、第六旅団などがあったとし、「金沢市は学都であり、軍都だった」と強調していました。
なお、次回発表会は、7月22日(土)に開催されます。