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笠原愼治氏「県名「石川」のルーツを探る―石川朝臣の人名説を中心に―

笠原愼治氏「県名「石川」のルーツを探る―石川朝臣の人名説を中心に」


石川郷土史学会の第480回月例研究発表会が9月22日(土)、金沢の石川県立図書館2階の県民交流室で開かれ、笠原愼治さんが「県名「石川」のルーツを探る―石川朝臣の人名説を中心に」と題して、発表しました。
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………
笠原愼治さんは、明治維新で加賀藩が金沢藩となり、さらに明治4年7月の廃藩置県で金沢県となり、同年11月に金沢県は10郡から4郡に減らされ、県庁を美川に移して石川県となったことについて、概略次のように発表しました。
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               発表する笠原愼治さん

◆この当時、江沼・能美・石川・河北4郡の人口は44万人であり、県名の「石川」は、県内人口の45パーセント(20万人)を占める石川郡の郡名を取って、「石川県」としたことは事実である。
◆その石川郡の郡名が決定したのは、弘仁14年、西暦823年である。

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◆郡名の多くは、人名から取られている(江沼、羽咋、能登など)。
◆郡名が決まったのは、7世紀から8世紀である。
◆石川郡の郡名の由緒は、川名ではなく、人名「石川朝臣」である。
◆石川朝臣は、武内宿禰の裔で、出雲系であり、大化の改新のあと、石川姓で生きのびたと言われている。
◆壬申の乱以後、石川一族は、出雲族として、戸板地区に隠れ住んだのではないか。近くに出雲神社、出雲町がある。こう考えれば、考古学、民俗学的にも理解できるのではないか。

笠原愼治さんは、概略このように発表しました。
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なお、10月は21日(日)に第93回歴史散歩「西・内外惣構堀跡探訪(その1)」、11月は24日(土)に月例研究発表会(発表者:加納嘉津政さん)が行なわれます。
by ishikawakyodo | 2018-09-23 17:49 | 研究発表会 | Comments(0)

石川県の郷土史を研究する石川郷土史学会のブログです。


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